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トルコキキョウの画像

大原麗子さんの最期から考える、葬儀・お別れ会・芸能人のお別れの形と終活!

2021/4/22 情報更新

昭和を代表する人気女優といえば、その名前を挙げる人も多い大原麗子さん(享年62)。

大原さんが亡くなって10年以上が経ちますが、一世を風靡した大女優の最期が孤独死だったことは、センセーショナルで記憶に新しいところです。

当時世間に大きな衝撃を与え、マスコミに大々的に報道された大原さんの活躍や生きざまを振り返りながら、当時の葬儀の様子、芸能人のお別れのかたちを交えて、どう終活を考えるかを詳しくお伝えしていきます。

大原麗子さんの経歴・プロフィール

大原麗子さん(本名:飯塚麗子)は、老舗和菓子屋の長女として1946年東京・文京区で生まれました。幼い頃に両親が離婚し、母親と暮らしはじめます。

大原麗子さんの経歴

加賀まりこ、峰岸徹らを輩出した「六本木野獣会」のメンバーとして10代後半で頭角を現し、スカウトで芸能界入り。

数々の映画やドラマに出演

NHK新人オーディションに合格し、ドラマ「幸福試験」で1964年デビューを飾ります。1965年東映、1971年渡辺プロダクションに移籍。

映画では、高倉健主演「網走番外地」シリーズのヒロインをはじめ数々のヒット作に出演、渥美清主演「男はつらいよ」シリーズでは2度マドンナ役を好演しています。

映画でさまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮した大原麗子さんはその演技力を買われて、テレビへも活躍の場を広げていきます。

1989年主演の「春日局」(橋田壽賀子脚本)では、NHK大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%をたたき出し、「獅子の時代」「山河燃ゆ」にも出演。

映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」で1986年山路ふみ子賞(女優賞)を受賞しています。

TVCM出演も多く、なかでもサントリーウイスキーレッドのCM「すこし愛して、ながーく愛して」は、1980~1990年もの間放送され80年代の流行語になりました。

バラエティにはあまり出演していませんが、「SMAP×SMAP」の名物コーナー「BISTRO SMAP」の記念すべき第1回ゲストが大原さんです。

大原さんが亡くなった1週間後の2009年8月10日には追悼の意を込めて再放送されました。

結婚と離婚

プライベートでは、2度結婚離婚しています。1973年俳優の渡瀬恒彦さんと結婚、1978年離婚。1980年歌手の森進一さんと再婚しますが4年で破局。

森さんとの離婚会見では「仕事を辞めたくなかった。家庭に男が二人いた」と語り、大きな話題になりました。

病により芸能活動を休止

着々と女優としてのキャリア歩んでいた大原さんですが、20代後半で免疫システムの不具合から歩行障害などを引き起こす難病「ギラン・バレー症候群」を発症し、芸能活動を休止します。

また、1993年乳がんの手術、1999年には右目の二重の整形手術の失敗で顔が腫れ上がり、映画出演をキャンセルせざるを得なくなってしまいます。

女優復帰は果たしますが、納得のいかない仕事はすべて拒否し、50歳を迎える頃には主役級のオファーは激減してしまいます。

そんな大原さんを見かねた最初の夫で俳優の渡瀬恒彦さんは、ご自身の主演ドラマ「十津川警部シリーズ」に2004年大原さんをゲストとして出演させました。それが大原さんの遺作となりました。

晩年は母親の介護も重って、公の場に姿を見せる機会はほとんど無くなっていました。

ギラン・バレー症候群が2008年10月再発。同11月自宅で転倒、右手首骨折という重傷を負い、リハビリ生活を送ります。

亡くなる年の4月には「私ももう60歳になっちゃったしね」と明るく電話で話していたそうです。

生前は「仕事に関しては、死ぬまで限界がない」と女優魂を燃やしていましたが、2009年8月、志半ばで62歳の生涯を終えました。

大原麗子さんは孤独死

テレビタレント好感度アンケート女性部門で1位を13回も獲得し、日本を代表する人気女優として順風満帆な人生を送っているかのように思えた大原さん。

なぜ孤独死を迎えなければならなかったのでしょうか。

世田谷区内の自宅で亡くなる

大原麗子さんは東京・世田谷区内の自宅で2009年8月3日、不整脈による脳内出血で亡くなりました。62歳でした。

2週間ほど連絡が取れないため警察に通報した実弟と警察によって、自宅で死亡しているのが3日後の8月6日に発見されました。携帯電話に手を伸ばし、あと3メートルというところだったそうです。

事件に巻き込まれた可能性は低い

自宅のドアや窓は全て鍵がかっている状態だったため、警察では事件性はないと判断された。また自殺の痕跡も無かったという。

孤独死は社会に大きな衝撃を与えた

大女優の最期の様子が孤独死として報道され、社会に大きな衝撃を与えました。

当時、3億円とも言われた豪邸で大原さんはひとり暮らしをしていました。母親と一緒に住んでいましたが、2009年3月頃から母親を介護施設に入居させました。

大原さんご自身がその前年2008年11月に自宅で転倒し、重傷を負ってしまったことが理由のようです。

両親の離婚後、離れて暮らしていた実弟とはたびたび交流があったようで、とりわけ甥をたいへんかわいがり、月に何度かは一緒に食事をしていたといいます。

大原さんの性格について実弟は、「姉はとても頑固で、台本で気に入らないところがあれば自分で書き直し脚本家に交渉していました。見る人も同じ考えだと思うから、と。

もちろん、なかなか通りませんから何度も降板しました」と後にメディアに語っています。

晩年は自宅に閉じこもるように

それが原因なのか、亡くなるまでの10年は女優としてほぼ活動しておらず、大量の複数の薬を摂取していたこともあってか心身を崩し、大原さんは自宅に閉じこもるようになります。

そうすると、今度は女優仲間や仕事関係者に時間を問わず長時間電話をかけるようになり、「なぜ自分を使わないのか」と一方的な悪態をつくように。

「私を5番目の妹にして」とまで言うほど慕っていた親友の浅丘ルリ子さんも、さすがにこの時期の大原さんとは距離を置かざるを得なかった、と近年メディアで語っています。

孤独死とは?

「苦痛を心身ともに抱えて追い込まれながら生きている人が目の前にいても、近隣でそのSOSを察知するコミュニティがないことに問題がある」と遺品整理の第一人者である横尾将臣さんはおっしゃっています。

>>遺品整理の料金はどのくらい?業者に遺品整理を依頼する際の相場や注意点、安く抑える工夫などを完全解説!

今や「孤独死」は誰もが知っている言葉ですが、これは1980年頃から独居老人の死後に久し振りに訪ねてきた親族に発見されるという事件がたびたび発生するようになり、マスメディアで取り上げられるようになったことが背景にあります。

当初は、都会には人がたくさんいるにも関わらず、現実はその誰にも気付かれずに亡くなっている、という状況を「都会の中の孤独」という逆説的な死様として取り上げられていました。

それが、次第に「周囲に助けも呼べずに死んでいった」ことが表面化するにつれて、社会問題としてこのような事態の発生防止が求められるようになりました。

孤独死が起きやすいとされている環境

・高齢者(特に男性)
・独身者(配偶者との死別を含む)
・親族がいないか、いても近くに住んでいない
・定年退職または失業により職業を持たない
・慢性疾患を持っている
・マンション、アパートなどの賃貸住宅(隣家に無関心)

日本の行政機関では孤独死を「誰にも看取られることなく息を引き取り、その後、相当期間放置されるような悲惨な孤立死」と表現しています。

大原麗子さんの葬儀・お別れ会

2009年8月8日、大原麗子さんの葬儀は自宅で親族や知人のみの密葬で執り行われました。芸能人の弔問はなかったものの、弔電や花などが届けられたそうです。

>>どうやって送るの?弔電の送り方から費用・注意点までを徹底解説!

大原麗子さんの葬儀

そして、「姉から生前、死んだらこうしてほしいと頼まれていたとおりにレイアウトした」(実弟談)というその様子が公開されました。

遺影は大きな鏡台に置かれ、その周囲に高倉健さんからの弔電、森光子さんなどの供花が囲んでいました。

また、親交のあった美空ひばりさんにプレゼントされたディレクターチェア、大原さんがお気に入りだったマリー・ローランサンの絵、大原さんの写真が飾られていました。

大原麗子さんお別れの会

「大原麗子さんお別れの会」は、2009年8月23日東京・港区青山葬儀所で開催されました。

発起人代表は女優の森光子さん、浅丘ルリ子さんや石井ふく子さんも発起人となり、「大原麗子さんお別れの会」実行委員会が主催しています。

大原さんが好きだった藤色の約3,000本のトルコキキョウと白のスプレーマム、バラ、カーネーション、カスミソウなどの1,500本で花祭壇を造り遺影を飾りました。

遺影には番組宣伝用の写真が使われた

遺影は1988年篠山紀信さんが撮影し、大原さんがとても気に入っていた1枚で、「春日局」番組宣伝用の写真が選ばれました。

大原さんのお別れの会は、「関係者の部」「一般の部」の二部構成とし、式次第もシンプルな無宗教の献花方式でした。

発起人代表として森光子さんの弔辞、友人代表の浅丘ルリ子さんの弔辞、映画・テレビ・CMをまとめたVTR、弔電披露、石井ふく子さん発起人謝辞、献花というものでした。

お別れ会には前夫も参列

関係者は約400人、一般参列者約600人の1,000人もの多くの方が参列しました。前夫の渡瀬恒彦さん、森進一さんも参列し、森光子さんは「いらしてすごいと思います。お二人を選んだことが間違いではなかったと、今日ほんとうに思えました。幸せです、彼女は」と、心から喜んでいたそうです。

お別れ会については下記記事もご参考ください。
お別れ会を完全解説!相場・流れ・特徴・マナーを3分で紹介!
新型コロナウイルスで亡くなった故人へのエンバーミングプランと最後の面会プランと直葬プラン(火葬)とお別れ会プラン(後葬)への対応を開始しました。

密葬とは?

一般の参列客を呼ばず、近親者のみで内々に行われる葬儀スタイルのことを「密葬」といいい、通夜、葬儀、火葬までを親族や限られた人のみで行います。

密葬が終わった後に、日をあらためてお別れ会や本葬が執り行われることが一般的です。

密葬は葬儀の規模としては小規模のため家族葬と混同されることもありますが、家族葬との違いは後日お別れ会や本葬が行われることが前提であるかどうかが基準です。

>>家族葬とは?家族葬のメリット・デメリットから参列者をどこまで招待するかまで徹底解説!
>>家族葬によるメリットデメリットから、家族葬で葬儀を行う場合の費用相場までを徹底解説!

密葬を行う人は、社会的地位が高い人や著名人、芸能人など生前に大きな業績を残した人が多い傾向が見受けられます。

これは故人の生前の交友関係が広いために一般的な葬儀では参列者が膨大な人数になってしまうことが理由です。密葬に呼べなかった参列者に、後日お別れ会や本葬にいらしてもらうという形にしています。

密葬については下記記事もご参考ください。
密葬とは何?密葬を行うメリット・デメリットなどを徹底解説

お別れ会とは?

お別れ会とは、家族や親族だけで執り行う家族葬のような小さな葬儀や告別式を終えた後に、あらためて開催する故人の送別会のことです。

故人と親しかった友人、知人を招くコンパクトなものから、会社関係者、取引先、故人が著名人であったならファンの皆さんを呼ぶというような大規模なものまでさまざまです。

お別れ会の形式は自由度が高く、葬儀の形式である仏式や神式などのような宗教的儀礼による制約がありません。

故人の趣味だった絵画や書の展示、生前の映像を流すなど演出も主催者側で自由に構成を考えることができます。

お別れ会についての詳細は『お別れ会を完全解説!相場・流れ・特徴・マナーを3分で紹介!

大原麗子さんについてのまとめ

日本を代表する女優として活躍し、華やかな芸能界に身を置きながらも、難病のギラン・バレー症候群や乳がん、うつ病など次々と病魔に襲われ苦しんだ大原さん。

再起を夢見て闘病中だった大原さんは、2009年8月6日に東京・世田谷区内の自宅で遺体となって見つかり、すでに死後3日経過していました。

当時、大女優の悲報に衝撃が走り、「孤独死」という文字がマスコミに連日躍りました。

その美貌と低音で落ち着いた声、小悪魔的なキュートな魅力で大女優の名声を手にしていた大原さんでしたが、プライベートは波瀾万丈な人生でした。

最後はマネージャーや運転手などスタッフが大原さんのもとを離れていっただけでなく、親友の浅丘ルリ子さんや親交のあった仲間が距離を置かざるを得なくなるほど荒んでしまっていました。

晩年は我を失うほどの様子で周囲を混乱させた大原さんですが、人生の締めくくりには大女優にふさわしい「お別れの会」で1,000人もの大勢の人に旅立ちを送られた大原麗子さん。

その生きざまはいつまでも多くの人の心に刻まれていくことでしょう。

大原麗子さんの最後から考える終活

誰にでも人生の終わりがあります。自分の人生のどう生きて、その終わりをどう迎えるかを考え、その活動が「終活」です。

大原麗子さんが亡くなった当時は、「終活」といった考え方が始まったばかりであまり一般的ではありませんでした。

大原さんの人生は、最後は彼女自身にとってどうだったのでしょう。大原さんに近しかった人たちの言葉から、そのヒントが垣間見えるかも知れません。

メディアインタビューで「あらためて天国の姉に言いたいことは?」と聞かれた大原さんの実弟は、こう答えられています。

「自分の死後どうするかといったことを、きちんと書いていてほしかったですよ。何も記すことなく急に亡くなったから、どれだけ大変だったか。

会社のことも税金のことも、私たちは何も知らされていなかったんです。姉には、終活の大切さを教えてやりたいですね」

また、大原麗子さんの元マネージャー佐藤嘉余子さんが、最近メディアインタビューに応じていますので、その一部をご紹介します。

佐藤さんは、マネージャーとしてデビュー当時から公私ともに親しく、1999年から5ヶ月間大原麗子さんと同居し、亡くなる前年の2008年まで頻繁に連絡を取り合っていたそうで、「大原さんが孤独死」といった言葉がメディアで使われていることに疑問をもっています。

大原さんの衣裳部屋の壁には、スペイン人詩人サン・ファン・デ・ラ・クルスの「孤独な鳥の、5つの条件」という詩が貼ってあり、大原さんは毎日眺めていたそうです。

孤独な鳥の、5つの条件

一つ 孤独な鳥は高く高く飛ぶ
二つ 孤独な鳥は仲間を求めない、同類さえ求めない
三つ 孤独な鳥は嘴を天空に向ける
四つ 孤独な鳥は決まった色をもたない
五つ 孤独な鳥はしずかに歌う

この詩は大原さんの生きざまそのものだと佐藤さんは言い、大原さんは亡くなる2年ほど前から、「私は死ぬ時にはスーッと消えて、そのままいなくなりたい」と言っていたのです。

大原さんは、「孤独に追い込まれたのでなく、自ら『孤高』を選んだ」と佐藤さんは話しています。そして、大原さんが亡くなる前年11月、大原さんが自宅で転倒した頃から急に連絡が途絶えたそうです。

大原さんが亡くなった直後、大原さんの自宅の冷蔵庫を開けるとお中元のスイカが2個半だけ残っており、それを見た際に、佐藤さんは寂しさや悲しさを感じる一方で、「ああ、麗子さんは天寿を全うしたんだな」とも思ったそうです。

そして、「体力の限界を悟って、『スーッと消えていく』という願いを本当に実行しようとしていた。

だから冷蔵庫の中に、いただきもののスイカ以外に自分で用意したような食料がなかったのだと思います。『孤高』を求めた麗子さんらしい旅立ちでした」

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終活とは?

人生の終わりをどう迎えるかを考え、それにむけて活動するのが「終活」です。自分で自分の死を考えることです。

終活の目的

「終活」が知られるようになった2009年当初は、葬儀やお墓などを生前に自分で準備しておくことが主な目的でした。

時を経ていくうちに、だんだんと終活の意義が注目されるようになり、葬儀やお墓以外にも自分らしい最期を迎えるために、残された人生をどのように生きるかを前向きに考えるきっかけにする人が増えてきています。

死後の準備を行うこと

また、自分が万が一の時に家族や周囲に迷惑をかけないよう、自分で死後の準備をしておきたいという考え方が広まっていることも、終活が浸透してきた背景と考えられます。

高齢者の独り暮らしが増えているほか、延命治療に関して本人が意思表示できない場合の治療選択に、家族が大きな決断を迫られるという現実もあります。

エンディングノート

残された遺族へ死後の意志を伝える方法としてエンディングノートに記載するという方法がありますエンディングノートは、ノートに記載しても良いですし専用のノートを使用できます。

エンディングノートと遺言書の違い

ただし、エンディングノートは遺言書と違い法的な効力はありません。ただし、その分エンディングノートには自由に自分の死後、どのように対応して欲しいかを記載することができるのです。

エンディングノートについては「エンディングノート最新人気ランキング20選!書き方も完全解説!」の記事もご参考ください。

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相続についてのご相談はやさしい相続でも無料で承っていますので、お気軽にご連絡下さい。24時間365日無料で専門オペレーターが対応致します。

本人だけでなく残された人たちの為にもなる

まずは今の自分を受け入れ、自分らしい最期を考えます。そこから、自分らしい生き方を考え、未来に向かって前向きに進むのが終活の基本的な考え方です。

そして、自分の思いとそれを引く継ぐ人、モノなど具体的な終活を考えている本人はもちろん、残された人のためにもなるのです。

終活について考える上で有効な資格の記事はこちら。
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【監修】栗本喬一(くりもと きょういち)

略歴
栗本喬一(くりもと きょういち)
1977年生まれ
出生地:東京都(愛知県名古屋市育ち)

株式会社東京セレモニー 取締役

ディパーチャーズ・ジャパン株式会社
「おくりびとのお葬式」副社長として、葬儀会社の立ち上げ。「おくりびとアカデミー」葬儀専門学校 葬祭・宗教学 講師。
株式会社おぼうさんどっとこむ 
常務取締役として、僧侶派遣会社を運営。
株式会社ティア 
葬祭ディレクター、支配人、関東進出責任者として一部上場葬儀 社の葬儀会館出店、採用、運営を経験。

著書:初めての喪主マニュアル(Amazonランキング2位獲得)

プロフィール

運営会社

会社概要

会社名 LDT株式会社
Life Design Technologies co.,Ltd


https://le-tech.jp/
資本金 11,930万円(資本準備金含む)
代表取締役 白石 和也
設立 2019年9月
所在地 〒105-0004
東京都港区新橋5丁目23-10片山ビル6階
TEL:0120-538-175
FAX:03-6800-5820
事業内容 AgeTech(エイジテック)プラットフォーム事業
AgeTech(エイジテック)関連のソフトウェア開発・提供事業
AgeTech(エイジテック)関連のコンサルティング事業

企業理念

ライフエンディング(葬儀)の後悔をなくす

私たちは超高齢社会に適した情報インフラとサービスインフラを構築することにより、人々のQOLの向上に寄与し、社会に貢献し続けます。

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葬祭ディレクターとして10年以上培った経験を活かし、多様化する価値観の中でご相談者様にとって
どのようなご葬儀を選択することがよいのかを丁寧にヒアリングさせていただき、ご提案いたします。

お葬式セミナー講師
エンディングコンサルタント
栗本 喬一(くりもときょういち)
1977年 東京生まれ(名古屋育ち)
略歴
母の死をきっかけに葬儀業界に興味を持ち、大学卒業後、大手葬儀社へ入社、家族葬から大規模葬儀まで、幅広くお葬式を葬儀担当者(セレモニーディレクター)として活躍。その後、葬儀会館の店長、新規開拓を歴任。お客様からの「ありがとう」という言葉をいただけることを仕事のやりがいとし、これまでに10年以上、5,000件以上の葬儀現場に立ち会う。
資格等
株式会社GSI グリーフサポート アドバンスコース修了。