基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 鎌倉時代後期の正和年間(1312年 - 1317年)に近江国野洲郡御上神社の神職であった善道が本願寺覚如の弟子となり、開創したのが始まりとされている。
後を継いだ第2世覚念は浄土宗に転じたが、次の第3世法住の代に浄土真宗に復帰する。最初は佛光寺に属するものの、紆余曲折の末に巧如によって本願寺直末寺として認められた。
本願寺第8世蓮如が寛正の法難で大谷本願寺を破壊された際にこれを匿った。そのため、延暦寺と対立し、堅田の地元民と延暦寺との対立も絡んで応仁2年(1468年)にはいわゆる「堅田大責」と呼ばれる延暦寺の攻撃で堅田の町と本福寺が焼き払われた。第4世明顕と弟子明宗は蓮如・実如の元で本願寺と浄土真宗の発展に尽くすと共に、堅田を中心とした近江国の本願寺派門徒及び一向一揆の中核を担う存在となった。
ところが、実如の弟蓮淳(蓮如の六男・証如の外祖父)が大津顕証寺(後の本願寺近松別院)に入ると、勢力圏が重なる本福寺の存在に脅威を感じるとともに一門統制に対する力の行使のため、明顕の養子として後を継いで第5世となった明宗を圧迫して永正15年(1518年)、大永7年(1527年)、天文元年(1532年)の3度にわたって破門が行われ(堅田本福寺破門事件)、本福寺は所領・門徒らをことごとく奪われて没落、明宗は憂悶のうちに死去する。この明宗が著した「本福寺明宗跡書」、その後継者である第6世明誓が著した「本福寺由来記」、「本福寺門徒記」は、後世「本福寺跡書(ほんぷくじあとがき)」と称せられた。堅田を中心とした浄土真宗本願寺派興隆の歴史と蓮淳(一門衆)による統制と反対派への弾圧・粛清が生々しく描かれている。
江戸時代前期に寺を再興した第11世明式は松尾芭蕉の門人・千那(俳号)としても知られている。 - 住職
- 三上淳
- 年中行事
- 元旦会 1月1日
本願寺 御正忌報恩講参拝 1月10日
春季彼岸会 引き続き 門信徒春のつどい 3月20日
勧学式(新入学をお祝い) 3月28日
花まつり(お釈迦さまご誕生をお祝い) 4月8日
親鸞聖人降誕会(聖人ご誕生をお祝い) 5月中旬
総永代経法要(総追悼法要) 6月上旬
夏のつどい(流しそうめん) 7月下旬
夏の朝まいり 8月14日~15日
盂蘭盆会 8月16日
秋季彼岸会(別修永代経法要) 9月23日
本堂仏具みがき 10月中旬
親鸞聖人報恩講 10月・11月 2日間
冬のつどい(餅つき) 12月下旬 - 開門時間
- 9:00-17:00
- 所在地
- 滋賀県大津市本堅田1-22-30
- 地図
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- アクセス
- JR堅田駅からバスで10分
出町下車から徒歩で5分
土・日は浮御堂前下車(11分)徒歩すぐ - 駐車場
- あり
- 施設情報
- 本福寺(ほんぷくじ)は、滋賀県大津市本堅田にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は夕陽山(せきようさん)。本尊は阿弥陀如来。
「やさしいお坊さん」ではこちらの寺院はご案内できかねますので直接寺院にお問い合わせ下さい。