基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 平安遷都の提唱者であり、また新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂は、天応元年(781)、国家安泰を祈願し河内に神願寺を、またほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立している。
神願寺が実際どこにあったのか、確かな資料が残っていないため、いまだ確認されていないが、その発願は和気清麻呂がかねて宇佐八幡大神の神託を請うた時「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て,万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け,その心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来している。
また、私寺として建てられた高雄山寺は、海抜900メートル以上の愛宕五寺のひとつといわれているところからすれば、単なる和気氏の菩提寺というよりは、それまでの奈良の都市仏教に飽きたらない山岳修行を志す僧たちの道場として建てられたと考えられる。
愛宕五寺または愛宕五坊と呼ばれる寺は白雲寺、月輪寺、日輪寺、伝法寺、高雄山寺であるが、残念ながら現在にその名をとどめているのは高雄山寺改め神護寺と月輪寺のみである。
その後、清麻呂が没すると、高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、和気氏の菩提寺としての性格を強めることになるが、清麻呂の子息(弘世、真綱、仲世)は亡父の遺志を継ぎ、最澄、空海を相次いで高雄山寺に招き仏教界に新風を吹き込んでいる。
弘世、真綱の兄弟は、比叡山中にこもって修行を続けていた最澄に、高雄山寺での法華経の講演を依頼している。
この平安仏教の第一声ともいうべき講演が終わると、最澄は還学生として唐にわたることとなる。
また、空海は留学生として最澄とともに入唐するが、二年で帰国、三年後にようやく京都に入ることが許されるや高雄山寺に招かれ、以後数年にわたる親交が続けられ、天台と真言の交流へと進展してゆく。
やがて天長元年(824)真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に付嘱し、それ以後真言宗として今日に伝えている。
神護寺は最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築いていったが、正暦五年(994)と久安五年(1149)の二度の火災にあい,鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の状態となった。
わずかに本尊薬師如来を風雨にさらしながら残すのみであった惨状を見た文覚は、生涯の悲願として神護寺再興を決意するが、その達成への道はとても厳しかった。
上覚や明恵といった徳の高い弟子に恵まれ元以上の規模に復興された。 - 住職
- 谷内乾岳
- 年中行事
- 1月1日 新年法要 金堂
第二日曜日 初大護摩供 明王堂
8日 本尊供 金堂
21日 御影供 大師堂
2月15日 涅槃会 金堂
3月21日 彼岸会 金堂
4月8日 仏生会 金堂
5月1日~5日 寺宝虫払行事 書院
4日 和気公祭典 霊廟
13日~15日 五大虚空蔵菩薩像御開帳 多宝塔
6月15日 降誕会 大師堂
7月21日 文覚上人忌 墓前
8月15日 孟蘭盆会 金堂
9月18日 性仁親王忌 墓前
23日 彼岸会 金堂
10月(第二月・祝)を含む
三連休 五大虚空蔵菩薩像御開帳 多宝塔
11月1日~7日 板彫弘法大師御開帳 大師堂
4日 和気公祭典 - 開門時間
- 9:00-16:00
- 所在地
- 京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5
- 地図
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- アクセス
- 山城高雄バス停 から徒歩5分(325m)
高雄バス停 から徒歩5分(349m) - 駐車場
- なし
高山寺の下に市営駐車場あり - 施設情報
- 神護寺(じんごじ)は、京都府京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山の寺院。
清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建つ。神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院である。 - その他の情報
- 紅葉が美しい真言密教の古刹。タカオカエデと呼ばれるイロハモミジなど、樹齢500年以上の古木が多く残っている。
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