基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 中村山天岳院と号し、慶長年間(1596~1615年)に現在地に開創されたと伝えられている。
この寺は古く大船の玉縄にあり、天台・真言を兼修した密教の道場であったと云われているので、平安末期の開山と考えられる。
鎌倉時代、三代執権北条泰時とその子時氏が、鎌倉八幡宮寺の一切経を校合した折、それに参加した当時の住持超世が、同席した浄土真宗の開祖、親鸞上人の学徳に感じて弟子となり、真宗に改宗したと伝えられている。
親鸞は小菅ヶ谷のや宿山の太子矢倉にこもって7体の聖徳太子像を刻み、弟子達に与えたと伝えられており、超世もその1体を与えられたという。戦国時代の末、大阪の石山本願寺と織田信長が争った石山合戦の時、当時の住持実好普古は、超世が親鸞から与えられた聖徳太子像を背負い、大阪に馳せ参じ、本願寺門主顕如の長男教如の側近として織田軍と戦ったという。その後、本願寺が信長と和睦したため玉縄に帰ったが、寺は信長に加担した小田原北条氏によって破壊され、門徒も四散していた。そこで、現在地に草庵を作って住したと伝えられている。
天正19年(1591年)豊臣秀吉は本願寺を京都の堀川に移し、翌年顕如が没したので、教如が門跡を継いだ。
しかし、秀吉は教如が和睦に反対であったとして強制的に隠居させ、次男の准如を門跡とした。そこで普古は教如の元側近として、たびたび教如を訪ねて慰めたという。
慶長3年(1598年頃)、教如は徳川家康と親交を持つようになり関東に下向したが、この時普古も家康に拝顔したという。その後普古は草庵で念仏三昧でくらしていたが、ある時領内見聞に来た家康が草庵を訪れ、水を所望した。普古は家康と気付かず、古茶碗で見ずを出すと、家康も普古とは知らず「うまい水だ、もう一杯くれ・余は家康である。」と名のった。これが縁で家康は境内山林と本堂再建の資金を寄進し、寺はこの地に立派に再建されたという。
更に、家康はおいしい水を飲んだ古茶碗と引きかえに立派な茶碗を下附した。この地の山は「水の口山」ともいわれ、良い水が出る所である。三代将軍家光は寺領13石の朱印状を与え、徳川氏は代々家康ゆかりの寺として保護した。
明治13年火災のためほとんどすべてを焼失したが、家康から拝領した茶碗は現在も残っている。 - 住職
- 中村 良照
- 年中行事
- 2月 法話会
4月10日 永代経法要
4月 陶芸教室
5月 旅行会
6月 法話会
7月 旅行会
8月10日 孟蘭盆会法要
10月10日 報恩講法要
11月 旅行会
12月 法話会、映画会
12月31日 除夜の鐘 - 開門時間
- 9:00-17:00
- 所在地
- 神奈川県横浜市栄区中野町40
- 地図
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- アクセス
- 本郷台駅 から徒歩16分
本郷バス停 から徒歩3分 - 駐車場
- あり
- 施設情報
- 長慶寺は、神奈川県横浜市栄区にある真宗大谷派の寺院である。
- その他の情報
- Twitter、Instagramあり
- 墓地情報
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長慶寺には敷地内に墓地区画がございます。
高台の区画からは鎌倉、江ノ島方面を一望することができます。
「やさしいお坊さん」ではこちらの寺院はご案内できかねますので直接寺院にお問い合わせ下さい。