基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 金剛院の創建は古く南北朝時代(1336~1392年 室町時代初期)以前と言われていますが、度重なる火災により当時の文献等はなく、南北朝時代の仏像(木造宝冠釈迦如来坐像・さいたま市指定文化財)のみが現存しております。
金剛院は天正十九年(1591年)徳川家康公より河越内に寺領四石を賜り、慶安二年(1649年)八月ニ十四日には、徳川家光公より下加村内に十石四斗の朱印地を拝領し、下加村(日進一丁目)西谷村(日進三丁目)の菩提寺となりました。今でも金剛院には十通の御朱印状が残されています。
寛永期(1624~1643年)の本末帳によれば、金剛院は下野国(栃木県)足利鶏足寺(平将門伝説のある寺)の末寺でした。金剛院には元禄二年(1689年)中興開山空正の時の醍醐松橋無量寿院直末許可状が残されており、その後の寛政期(1789~1800年)の本末帳には、松橋無量寿院末寺と記されております。これらのことは、新編武蔵風土記稿・武蔵国郡村誌にも記されております。
この空正の時に本尊に不動明王を安置し、花臺山金剛院大聖寺と号しました。当時、金剛院内には、行基菩薩作の観世音菩薩を安置した観音堂(江戸時代に焼失、再建されず)、浅間社(現下加公園)、天神社があり、他に氷川社、八幡社、熊野社を管理していました。
また、金剛院には、下加村大乗院(福寿山と号し本尊は不動明王。稲荷社・牛頭天王社を管理していたが、明治四年八月廃寺。現陸上白衛隊大宮駐屯地敷地内にあり、金剛院鐘楼堂横の宝篋印塔は大乗院より移設)、無量寺(西谷山と号し本尊は不動明王。現日進三丁目阿弥陀堂)、照明院(下加村)、光福寺(医王山と号し本尊に薬師如来を安置。大成村)、阿弥陀堂(西谷村にあり、明治十九年一月一日本堂・庫裏焼失。その後再建され、昭和四十七年現在の本堂完成)等の末寺がありましたが、明治初期の廃仏毀釈により、多くの寺が廃寺になりました。
金剛院は廃仏毀釈の難を逃れましたが、慶長年間(1596~1614年)に建立され延享年間(1744~1747年)に再建された本堂が明治十七年五月十九日、火災により焼失してしまいました。明治二十三年、与野より本堂資材を購入し再建された旧本堂は、昭和四十三年に大改修が施されましたが。近年、老朽化が著しい為、平成二十年に現本堂が建立されました。 - 年中行事
- 元旦 初護摩
節分 大護摩供法要
7月12日 秋ヶ瀬霊園盆供養(永遠の絆)
7月13日 秋ヶ瀬霊園盆供養
7月14日 彩の恵盆供養
7月15日 彩の栞盆供養
7月16日 岩槻霊園盆供養
8月11日 浄光殿新盆施餓鬼会
8月12日 浄光殿大施餓鬼会
8月16日 金剛院大施餓鬼会
8月24日 宝蔵寺大施餓鬼会
8月24日 阿弥陀堂大施餓鬼会
大晦日 除夜の鐘 - 開門時間
- 9:00-17:00
- 所在地
- 埼玉県さいたま市北区日進町1-758
- 地図
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- アクセス
- 日進駅 から徒歩9分(686m)
鉄道博物館駅 から徒歩20分(1.6km)
宮原駅 から徒歩20分(1.6km)
日進一丁目バス停 から徒歩4分(252m) - 駐車場
- 第一および第二駐車場完備(総駐車台数36台)
- 施設情報
- 花臺山金剛院大聖寺は、埼玉県さいたま市北区日進町にある真言宗智山派の寺院である。
- その他の情報
- 金剛院には、さいたま市指定文化財の木造宝冠釈迦如来坐像があります。この像の制作年代は南北朝時代(1336~1392年 室町時代初期)とされ、像高40.5cm、髪際高31.0cm、膝張28.2cm、裳裾垂下長5.4cm。この像は寄木造で、髪を頭上に高く束ね結い上げ、衣のひだを煩わしいほどに形づくり、裳先を前面に垂らすなど、作風に宋元風の特色をもつ作品と思われます。
写経
第2・第4、日曜日8時から正和殿にて行ってます。 - 墓地情報
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一般墓地、永代供養墓あり
慈照苑(樹木葬)、光明陵(マンション型墓所)などあり
- 永代供養墓
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永代供養墓(秋ヶ瀬霊園)
永代供養墓・樹木葬(彩の恵)
永代供養墓(金剛院内)
ご利益
- 厄除け
- 祈祷一般
- 縁切り
- 諸願成就
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