基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 当山は、神体山として数千年の歴史を有し、神秀倉(かみほぐら)・甘楽山(かぐらやま)・五智の峰などと呼ばれて人々に尊崇されておりました。
聖徳太子は、ご生母の里にある此の山が大層お気に召し、伽藍を建て仏教弘通(ぐつう)の道場として鏑矢(かぶらや)を奉納、鏑射寺と命名されました。
その後、弘法大師は境内に独鈷水の井戸を掘られ、百丈岩には穿仏(せんぶつ)岩にご足跡を残しておられます。 また、北条時頼や太閤秀吉三度の参詣の事跡等々がありますが、南北朝時代と江戸時代に戦火と山火事にあい、文久二年(1862年)の勇阿上人による再建を待ちました。
明治6年、三田九鬼藩の天誅組と称する不逞藩士が神社仏閣を襲い、当寺も火を放たれ焼け残った太子堂及び本尊什器は寺廻りに移されて、その後廃寺となりました。
時を経ること約百年、昭和30年秋に久邇宮朝融(くにのみやあさあきら)王殿下が、道なき所を攀(よ)じ登り、生い茂る草をかき分けてご参拝になり、鏑射寺の再建と国家国民の安寧をお祈りになられました。
昭和34年9月、現山主中村公隆師が入山、祈願に入りました。 同41年に護摩堂(不動明王)が、48年には三重塔(虚空蔵菩薩)、続いて53年函館の地に別院(不動明王等)が建立されました。 - 住職
- 中村弘淳(公隆)
- 開門時間
- 9:00-17:00
- 所在地
- 兵庫県神戸市北区道場町生野1078-1
- 地図
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- アクセス
- JR宝塚線 道場駅 徒歩20分
- 施設情報
- 鏑射寺(かぶらいじ)は、兵庫県神戸市北区にある真言宗系単立の寺院。
「やさしいお坊さん」ではこちらの寺院はご案内できかねますので直接寺院にお問い合わせ下さい。