基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 創始は文安2年(1445)坂井戸の地で青木正義を開基とし、正福寺と称していた。開山は不詳。その後無住となり堂宇ほとんど壊滅の状態にあった。
天文23年(1554)5月、現在地に移築し法源寺と改称した。
開基は織田信長公の妹、織田兵衛佐越前守太郎左衛門尉信張公の妻であり織田(津田)又六朗信時の母、楊徳院殿(元亀元年(1570)2月1日没)である。
楊徳院殿は夫と子息の菩提追福の為、法源寺を設立。名古屋市中区矢場町にある政秀寺開山沢彦和尚の弟子、吉庭慶公を首座として迎え中興開山とした。
開基楊徳院殿の子の雲頂院殿(織田信時)は天平2年(1574)8月2日、長島にて戦死した。夫の青龍院殿(織田信張)は小田井(於田井)の領主で禄高は3万6千石であったが、天平15年(1587)9月22日大津にて死亡した。
4代120年を経て、政秀寺第5代江天和尚の弟子、北潭和尚を迎え政秀寺法類寺院となった。故に北潭和尚を法地開山、江天和尚を開祖としている。
北潭和尚は名古屋城主徳川源敬公(尾張藩祖徳川義直)の二の丸貞松院殿の子で、再建にあたり母より普請金を下付せられて寛文12年(1672)再興した。
徳川家出身の因縁により、特に寺紋として三つ葉葵紋を許されている。
天保11年(1840)7月、第6世笑岩和尚により本堂再中興されるが、明治24年(1891)10月24日の濃尾大地震により本堂・庫裡ともすべて崩壊。
当時住職の第9世説門和尚庫裡を再建中遷化され、その後第10世恭道和尚も再建に尽力するも志半ばに急逝。寺務担当者を失い檀信徒大いに落胆する。
ここに元住職第8世拙安和尚が老躯をもいとわず再建に努力し、その後第11代世瓊山和尚に引き継ぐ。明治30年(1987)に一応の完成をみる。
明治34年(1901)11月に落慶式を挙行。世瓊山和尚27年、第12世栖山和尚50年の住職中、逐次補足改修を重ね、現住職第13世義孝和尚に至り現在の伽藍となる。 - 住職
- 内藤雅孝
- 年中行事
- 坐禅会や写経会・お寺でほっこりヨガ(寺ヨガ)を行ってます。
- 開門時間
- 9:00-17:00
- 所在地
- 愛知県名古屋市西区上小田井1-269
- 地図
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- アクセス
- 中小田井駅 から徒歩4分(328m)
小田井駅 から徒歩7分(569m)
庄内緑地公園駅 から徒歩9分(701m)
南川町バス停 から徒歩5分(355m)
上小田井二丁目バス停 から徒歩5分(384m)
中小田井五丁目バス停 から徒歩5分(389m) - 駐車場
- あり
- 施設情報
- 法源寺は、愛知県名古屋市西区にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
- その他の情報
- Twitterあり
- 墓地情報
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一般墓地あり、永代供養墓あり
- 永代供養墓
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あり
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