基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 福泉寺の創建は、寺の文書によりますと「建暦二壬申歳、始結閣以来庵主持僧諸宗交代不知其幾世代云々」とあります。
伝えによれば、源頼家の旗本近藤三郎是茂の家人、荒井外記(げき)智明なる武士が、修禅寺事件(1203)以後代々木の地に隠居し、建暦2年夢の中に大神から宝珠の如き鏡を感得したので、名を宗友と改め、鶴ケ丘八幡宮を勧請して庵を創建したといいます。
創建以後久しく荒廃していましたが、江戸時代に至り、正保元年(1644)住職傳誉中興開山傅養律師)の代、江戸山王観理院支配に属して浄土宗より天台宗に改めました。
承応3年(1654)第二世乗正律師のとき堂宇を造営しますが、寛文4年(1664)第三世長秀法印のとき、四谷千日谷の火葬場が千駄ケ谷を経て今の代々幡に移されることとなり、浄地を求めて奉遷する必要を生じ、たまたま圓住院殿の後援を得て、寛文11年(1671)より翌12年にかけて、別当八幡宮と共に、現在の地に奉遷しました(中興開基)。
圓住院殿は大和添上郡岩掛城主山田政秀の六女と伝えられ元和八年(1622)紀伊徳川家藩祖頼宣(家康の第十子)の側室となり、当寺三世長秀と同族との関係によって、当寺で法要など営んだということです。
圓住院の娘松姫は上野吉井藩の始祖となる松平氏に嫁したところから、福泉寺は吉井松平家の崇敬をも得て次第に寺運は隆盛し、「江戸名所図会」所載の如き堂宇が整いました。圓住院及び松平家では、仏像、仏具、田畑など多く当寺に寄進し、その存続発展に資するところが多かったといいます。
幕末にいたって火災にも遭い寺運衰え、廃仏毀釈の余波をも蒙り、その寺領も官に没収若しくは四散し、第六十一世(創建以来の推定、第六十三世亮貞が定める)貞憲の代で神仏習合の時代は終わりました。
六十二世智貞は本堂庫裡を改築し寺風を改めましたが、震災に耐えた堂宇も昭和20年の戦災で全焼、その後昭和34年本堂再建。昭和56年客殿復興、平成4年墓地東面の擁壁修復、平成8年庫裡復興し、戦後50年をかけてようやく寺風が整いました。 - 開門時間
- 9:00-17:00
- 所在地
- 東京都渋谷区代々木5-2-1
- 地図
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- アクセス
- 小田急線/代々木八幡 徒歩5分
東京メトロ千代田線/代々木公園 徒歩5分
八幡下バス停 徒歩3分
代々木公園西門バス停 徒歩5分 - 施設情報
- 福泉寺(ふくせんじ)は、東京都渋谷区にある天台宗の寺院。
「やさしいお坊さん」ではこちらの寺院はご案内できかねますので直接寺院にお問い合わせ下さい。