基本情報
- お坊さん(僧侶)沿革
- 古くは真言宗の寺院で詳細は不明。鎌倉幕府の開祖・源頼朝や室町幕府の開祖・足利尊氏との所縁を有する古刹であるとともに、中世まで小原村にあった中山城と深い関係にあった。
中国地方に初めて浄土真宗をもたらしたのは明光上人とその一門長寛二年(一一六四)~安貞元年(一二二七)とその一門である。
上人は十五歳にして比叡に天文を学び、将軍 源頼朝の請けにより鎌倉に最宝寺を建立するが、親鸞に帰依して、法流を真宗に改める。
間もなく師命を受け、弟子と共に備後国山南村(現在の福山市沼隈町中山南)に赴き、金明山光照寺を開基する。
この明光上人の備後下向に従った鎌倉武家がいたという系図記録がある。
その武家・ 相模国三浦氏は、桓武平氏の流れを汲み、鎌倉幕府の有力御家人となり、六代三浦駿河守義村の時は下総・武蔵・相模三カ国の太守であった。
八代景村の女子が小原村中山城主 三浦相模守義形に嫁すと伝えられる。(光照寺縁起本より)
歴応元年(一三三八)正月十六日、中山城三代城主・三浦相模守智満入道浄存は長男義福(後に忠福と改名)に城主を譲り、山南村の金明山光照寺に上山し、存覚上人(正応三年(一二九〇)~応安六年(一三七三)の弟子となり、剃髪して出家。
そして、小原村内に 「花埜山満月院最勝円寺」を開基し、浄土真宗に改宗した。
この開基の資金は、中山城三代 城主智満・四代城主忠福親子の度々の軍功により、足利尊氏より八千両の金資を賜ったと伝わる。
永正四年(一五〇七)、中山城は、鷲尾山城主木梨元清に攻められ、城主三浦賀親は敗れて九月九日、城を焼き自刃して果てた。
昔、九月九日は「栗の節句」で、栗を食べて祝う風習があったが、以来小原村の里人は「栗の節句」を祝わず、永く城主の悲運を弔ったという。
元禄十二年(一六九九)、現在地に移し、寺名も「華野山最円寺」とした。(最円寺伝記より) 最円寺には、尾道市原田町出身の彫刻家・矢形勇氏の作である慈母観音像が本堂前に、聖徳太子像が寺内にある。 - 住職
- 三浦敬雅
- 年中行事
- 年によって変わる。
- 供養、お祓い
- 浄土真宗本願寺派の教義に背かないお参りであれば、各種対応可能。
分からない場合は相談も可能。 - 開門時間
- いつでもお参り下さい。
- 所在地
- 大分県大分市三川上3-2-33-3
- 地図
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- アクセス
- 今津PAより車で15分
- 駐車場
- 有。枠などは無いため数台停められる程度。
- 施設情報
- 自然豊かな尾道市原田町にあるお寺です。各種お参りをさせていただいております。
- その他の情報
- どなた様にでも浄土真宗のみ教えを伝えてゆける様なお参りをさせていただいております。
本院は広島県尾道市原田町小原2058にございます。