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お彼岸はいつから?お彼岸の時期や意味、お彼岸の準備やマナーまで完全解説!

May 12 2021

和菓子店やスーパー、近年ではコンビニでも、春と秋のお彼岸にはぼた餅やおはぎが並んでいます。

買わずに自分で作るという人もいるでしょう。しかし、お彼岸にぼた餅(おはぎ)を用意することは知っていても「ではお彼岸はいつから?」と聞かれたらあなたは答えられるでしょうか?

そこでこの記事では、お彼岸の期間がいつからいつまでなのかを、お彼岸の意味や行事も合わせて解説します。

お彼岸とは

春と秋のお彼岸は、お正月やお盆と並んで、日本人の生活に根付いている風習です。

先祖の霊を供養するために、お墓参りや彼岸会(ひがんえ)と呼ばれる法要を行います。

お盆と同じように感じられるかもしれませんが、実際にはさまざまな違いがあります。まず、お彼岸とはそもそもどんな意味があるのか、どのように始まったのかを見ていきましょう。

お彼岸とはなにか

お彼岸はもともと仏教用語で「悟りの境地」を意味します。そこから亡くなった人が行く「あの世」も「彼岸」と呼ぶようになりました。一方、人間の生きるこの世のことは「此岸(しがん)」と言います。

お彼岸の時期はあの世とこの世が近くなるとされています。特に春分の日・秋分の日は太陽が真東から昇り、真西に沈むことから、最もあの世に近づくと言われるようになりました。そのため、生きている人があの世に近づいて、仏道の修業をしたり、先祖の供養をしたりするのが望ましいとされたのです。

お盆は亡くなった家族や先祖の霊を迎えて供養しますが、お彼岸は生きている人から近づいて行うという点で異なっています。しかし、どちらも故人や先祖を偲び、敬う気持ちに違いはないでしょう。

お彼岸の歴史

「彼岸」はサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」やパーリ語(現存する最古の仏教宗派・上座部仏教の経典に使われる言語)の「パーラミー(波羅蜜)」の訳語です。本来は、仏教において人間が仏になるために行う修業を意味します。

修業によってこの世の煩悩や迷いという川を越え、悟りの境地(涅槃:ねはん)に至るとされたことから、「到彼岸」とも訳されていました。

もともとは仏教用語ですが、仏教が広まるに従い、仏道修行者でなくても、日常生活の中で「波羅蜜=修業」を心がけ、励むことで彼岸へ到達すると考えられるようになったのです。

また、農耕民族であり、もともと自然や太陽を崇拝する風習のあった日本人にとって、春分の日・秋分の日を含むお彼岸の期間は大切な時期でした。

春は種まき、秋は収穫のために五穀豊穣を願い、収穫に感謝するお祭りをすることからもうかがえるでしょう。こうした自然をあがめ、感謝する気持ちが仏教と結びついて「お彼岸には西を拝み、先祖を敬い供養する」ようになったと考えられます。

お彼岸が仏教由来であるにもかかわらず、インドや中国など仏教と縁の深い国や、タイやミャンマーといった仏教を信仰する国に同様の行事がないのは、こうした日本特有の風土があったためでしょう。

なぜお彼岸にお墓参りをするのか

お彼岸にお墓参りをするようになった理由には、さまざまな説があります。

最もよく知られているのは「お彼岸の時期には、あの世(彼岸)と此岸(この世)が近づくとされているから」という説でしょう。

仏道修行者でなくても、この世に生きる家族が故人や先祖の霊に近づいて供養ができるとして、お墓参りの他にも彼岸会や読経などの仏教行事が行われています。 

また、春分の日・秋分の日はそれぞれ八王日(季節の変わり目となる八つの日)の一つにあたるからという説もあります。

八王日には陰陽や天地の神々が入れ替わり、閻魔大王などの神々が人間の行いを記録すると考えられていました。そこでお墓参りなどの善行を積むことが望ましいとされたのです。

その他にも、春分の日・秋分の日は昼と夜の長さが同じになる点が仏教の中道思想(極端な二つの概念のどちらか一方に寄らず、中正を取ること)に合致するためという説や、春や秋は気候がよく、お墓参りに行きやすかったという現実的な説なども挙げられます。

お彼岸に行われる彼岸会

彼岸会(ひがんえ)は寺院で行われる合同供養で「彼岸法要」とも呼ばれています。主に檀家や寺院が運営する墓地にお墓のある人たちが参列します。春分の日・秋分の日だけでなく、お彼岸の期間中行われるのが一般的です。

彼岸会の起源はおよそ1200年前の桓武天皇の時代、公式の記録では西暦806年(大同元年)とされています。

平城京から長岡京、さらに平安京へと都を移したことや、のちに天台宗の祖となる最澄を唐へ派遣したことなどで知られる桓武天皇には、早良親王(さわらしんのう)という弟がいました。早良親王は出家して東大寺に住んでいましたが、桓武天皇の即位にともない、望まれて皇太子となります。

しかし785年(延暦4年)、早良親王は長岡京への遷都を推し進めた藤原種継を暗殺したと嫌疑をかけられました。皇太子を廃された上、幽閉・淡路国(現在の淡路島)に配流(流罪になること)の憂き目を見ることになります。

最期は無実を訴えるために10日余りも絶食し、淡路国に配される途中で憤死したとも、実は桓武天皇の命で飲食物を与えられず、餓死させられたとも伝えられます。いずれにしても早良親王の無念はいかばかりだったでしょう。

やがて、桓武天皇の周りで、次々に不幸が起こり始めます。皇太子・安殿親王(あてしんのう・のちの平城天皇)の発病を皮切りに、皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)、夫人(側室)・藤原旅子(ふじわらのたびこ)、坂上又子(さかのうえのまたこ)、生母・高野新笠(たかののにいがさ)が次々に病死。さらに疫病の流行や洪水などの天災が相次ぎました。

桓武天皇は、これらの不幸や災害が早良親王の祟りであると怖れ、鎮魂の儀式を何度も行い、800年(延暦19年)には崇道天皇と追称します。淡路国にある山稜(天皇の墓)にも僧や陰陽師を送って陳謝させ、墓守も置きましたが、なおも怨霊への怖れは治まりませんでした。

彼岸会の始まりは806年(大同元年)とされています。「日本後記」に、桓武天皇が早良親王の霊を慰めるために、7日7晩の間休みなく諸国の僧に経を転読させたとあり、公式記録としては日本最古の公式記録であるためです。

また、その後に書かれた更級日記や源氏物語にも彼岸会の記述が見られるのも、仏教行事として定着したのが平安時代とされる根拠の一つです。

お彼岸の期間

お彼岸の期間は毎年変わることをご存じでしょうか。

「春分の日・秋分の日じゃないの?」と思われるかもしれませんが、実はその春分の日・秋分の日も毎年同じ日ではありません。ここではお彼岸の期間がいつからいつまでか、どのように決まるのかなどを紹介します。

2021年の春と秋のお彼岸の期間

2021年(令和3年)の春と秋のお彼岸の期間は以下の通りです。

春:彼岸の入り 3月17日(水) 中日(春分の日)3月20日(金) 彼岸の明け3月23日(火)

秋:彼岸の入り 9月20日(月) 中日(秋分の日)9月23日(木) 彼岸の明け9月26日(日)

お彼岸の期間の決まり方

お彼岸の期間は、春分の日・秋分の日を中日とする前後3日の合計7日間です。春分の日と秋分の日はその年によって変わりますが、7日間という期間に変動はありません。

国立天文台の観測や計算に基づいて翌年の春分の日・秋分の日の日付が確定すると、2月1日付の官報で発表されます。それによって、お彼岸の入りと明けも決まることになります。

なぜ春分の日と秋分の日がお彼岸なのか

お彼岸の風習は、浄土思が深く関わっているとされています。浄土思想とは、念仏や観仏(仏の姿や功徳を思い浮かべる行)によって阿弥陀仏のいる極楽浄土に往生・成仏しようという教えです。

浄土思想では、極楽浄土は西方にあると考えられています。春分の日・秋分の日は太陽が真西に沈むため、極楽浄土に向かうとして拝むようになりました。

一説に「彼岸」はもともと「日願」だったとあるのもこのためです。

また、昼と夜の長さが同じになり、太陽が真東から昇って真西に沈む春分の日・秋分の日は、あの世(彼岸)とこの世(此岸)が最も近くなる日です。

そのため、仏道修行者でなくても浄土に近づけるという考えと、日本古来の先祖を敬う風習が結びついて、先祖の供養を行うお彼岸として定着したと言われています。

春分の日と秋分の日の決まり方

天文学では、黄道(太陽が移動する通り道)と地球の赤道を天まで延長した「天の赤道」が交わる二点を春分点・秋分点と言います。日本の「国民の祝日に関する法律」は、太陽がこの点を通過する瞬間を含む日「春分日」「秋分日」を春分の日・秋分の日とすると定めています。

翌年の春分の日・秋分の日がいつになるかは、国立天文台の観測・算定によります。

その結果に基づき、前年の2月1日に官報(国の機関紙。法律や法令、条例の公布や公告などを行う)の「暦要項」に確定した春分の日・秋分の日の日付が記載されます。

ちなみに、国立天文台では2020年から2050年までの春分の日・秋分の日をすでに算出済みです。

2050年までの間、地球の運行が現在と変わらなければ、春分の日は3月20日または21日、秋分の日は9月22日または23日になるそうです。

お彼岸の準備

お彼岸にも、先祖を供養するための準備があります。お盆のお供えものやお飾りと共通する部分もありますが、お彼岸には特にどのようなものが必要なのかを見ていきましょう。

お供えもの

お彼岸のお供えものの筆頭に挙げられるのはぼた餅やおはぎでしょう。春分の日・秋分の日ともなれば、和菓子店やスーパー、コンビニなどで大々的に売り出されている光景が見られます。

ぼた餅とおはぎは、うるち米ともち米を合わせて炊くか蒸したものを搗いて潰し、丸めてあんこで包んで作ります。

作り方は同じですが、春のぼた餅は牡丹の花になぞらえて、より丸く大きめ、秋のおはぎは萩の花びらに模して俵型でやや小ぶりという違いがあります。

また、秋のお彼岸には収穫したてで皮の柔らかい小豆が使えるため、おはぎのあんこはつぶあんです。一方、春のお彼岸は前年の小豆を使うので、皮を取り除いたこしあんで作ります。

しかし、実はぼた餅とおはぎの定義は地方によって異なります。

例えば、春・秋関係なく、あんこで包んだものをぼた餅、きなこをまぶしたものをおはぎと呼ぶ地域もありますし、もち米を主とするものをぼた餅、うるち米ならおはぎとする地域もあります。結婚や引っ越しなどで他の土地へ行ったら、違いを確認しておくとよいでしょう。

また、日本では、古くから赤いものには魔除けの効果があるとされています。

そのため赤い小豆は、米とともに五穀豊穣の神事にも使われるようになりました。そこで、米と小豆を組み合わせたぼた餅やおはぎは邪気を祓うとして、先祖の霊へのお供えにふさわしいとされたのでしょう。

さらに、ぼた餅やおはぎの他には、季節の果物やお菓子、精進料理やお酒などをお供えします。

肉・魚類、卵などの生ものや動物性の食べ物は殺生につながるため、故人が好きだったものでも避けるようにしましょう。

お彼岸のお花

お彼岸にお供えする花は、白や淡い色のものが基本です。菊や小菊、ラン、ユリ、カーネーションなどが日持ちもよくおすすめです。

春ならスイートピーやスターチス、フリージアなど、秋はリンドウやキキョウなど、季節の花を足してもよいでしょう。仏壇やお墓の花台にお供えするなら必ず一対にします。

ただし、近年では色にこだわらず、故人の好きだった花を選ぶ人も増えています。毒やトゲ、強い香りのないものを避ければ、取り入れても構いません。また、バラでもトゲを取り除けばお供えしてもよいとされています。

仏壇のお掃除

仏壇の掃除はお彼岸の入りまでに済ませておきます。仏壇本体は毛ばたきや乾いた柔らかい布でホコリを払いましょう。金属製の仏具は外せるものは外して、専用のクリーナーと乾いた布で磨きます。 

水拭きは厳禁です。仏壇は細かい細工が多く、きれいにふき取ったつもりでも水気が残って、カビや変色の原因となる恐れがあります。

金箔を貼った仏壇は、剥がれや欠けに特に注意が必要です。破損が心配な場合は、専門業者に清掃を依頼することも検討しましょう。

お墓のお掃除

お墓の掃除はお彼岸の入りまでにしておくか、お墓参り当日に、バケツと雑巾、スポンジ、ほうきとちり取り、ごみ袋などの掃除道具を持参して行いましょう。 

墓石の汚れはほとんどが砂ボコリや泥、雨じみなどです。柄杓で上から水をかけ、柔らかい布やスポンジで優しくこすり洗いすれば、問題なく落とせます。

家名や家紋が彫られている部分は、綿棒を使って汚れを拭き取りましょう。タワシやブラシなど、固いもので擦るのは避けてください。

墓石に使われている石材には、ごく小さな隙間があるため、傷や欠けなどの原因になるからです。

同じ理由で、食器用洗剤や住居用の洗剤を使うのもおすすめしません。変色や色ムラ、表面の加工の剥げなどにつながります。

墓石専用のクリーナーもありますが、よほどひどい汚れでなければ水洗いで十分です。

敷地内の落ち葉や雑草、古い花などはゴミ袋に集め、掃き清めます。最後にもう一度、墓石の上から水をかけて合掌しましょう。

お彼岸の過ごし方

お彼岸は本来、仏道修行者が「六波羅蜜」と呼ばれる六つの修業(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を行うべき時です。

しかし、その考えは徐々に変化し、普通の人であっても彼岸に近づくことができるとされるようになりました。では、具体的にはどのように過ごせばよいのでしょうか?

ご先祖様を供養する

彼岸に近づくとは、先祖の霊にも近づけるということです。

お彼岸の期間にはお墓参りや仏壇参り、お供えをしたり線香を手向けたりして、先祖を敬う気持ちとともに供養しましょう。特に、四十九日が明けてすぐのお彼岸は「初彼岸」と呼ばれ、僧侶を自宅に招いて法要を行うのが一般的です。

寺院で催される彼岸会に参加する場合は、お布施と数珠を持参します。故人や先祖を偲んで心静かに手を合わせましょう。

お墓参りに行く

お墓参りは春分の日・秋分の日でなくても、お彼岸の期間中ならいつでも構いません。ただし、できるだけ家族そろって、午前中に行くのが基本です。

お墓参りには、線香やろうそく、ライターの他、お供えや花、掃除がまだなら掃除道具も持参しましょう。

花は花台に左右対称に差し、お供えは懐紙や皿にのせます。墓石の上から柄杓で水をかけたら線香を手向け、合掌します。お参りが済んだら、動物や虫が寄ってくるのを防ぐためにお供えは持ち帰りましょう。

精進料理を食べる

精進料理は仏教の戒(かい:仏教の信徒が守るべきとされる行動の規範)に従って、殺生や煩悩を掻き立てるとされる刺激を避けて作る料理のことです。

大前提として、肉や魚、卵など動物性の食材は使いません。煮物や汁物に使う出汁も、シイタケや昆布といった植物性のもので取ります。

また、ネギやニンニク、ニラ、ラッキョウ、タマネギは五葷(ごくん)と呼ばれ、匂いが強く煩悩を刺激するとして禁忌とされています。

主な食材は野菜や豆類、海藻類の他、豆腐や湯葉などの大豆由来の加工品などです。

味付けは素材そのものを味わえるように、基本的に薄目です。日本料理にも大きな影響を与えたとされる精進料理、お彼岸だけでなく普段の食事にも取り入れてみてください。

お彼岸の法要のお布施

お彼岸には多くの寺院で彼岸会が行われます。四十九日が明けてすぐの「初彼岸」に、自宅に僧侶を招いて法要を行う家もあるでしょう。いずれの場合でも必要になるのがお布施です。それぞれいくらぐらいが相場なのでしょうか?

寺院で行われる彼岸会に参加する場合のお布施は、3,000~10,000円が一般的です。ただし、寺院との関係の深さによっては20,000円以上必要とされることもあるため、家族や近所の人に確認しておくとよいでしょう。

自宅で行う彼岸法要は、僧侶に来てもらう必要があります。お布施はお盆の法要と同じくらい(30,000~50,000円)を想定しておきましょう。

寺院が遠方の場合は、お車代として別に3,000~10,000円くらいを包みます。

お布施は奉書紙を使って、左右から巻き三つ折りにして上下を折る「たとう包み」にするか、市販の白い封筒に入れます。表書きは「御布施」または「お布施」としますが、何も書かなくても構いません。ただし、裏書きには自分の名前と住所をしっかりと書いておきましょう。

お彼岸のマナー

お彼岸に自分や配偶者の実家に赴くときには、服装や手土産にも気を配りましょう。「親しき中にも礼儀あり」の例えどおり、身内だからこそマナーには注意したいですね。

服装

招く方も招かれる方も普段着で構いません。ただし、派手な色柄のものや肌を露出するデザイン、Tシャツに短パンのようなカジュアルすぎる服装は避けましょう。

また、配膳などを手伝う予定があるときは、動きやすい服装にすることをおすすめします。

ただし、初彼岸や寺院での彼岸会には喪服か黒っぽい服で参加しましょう。数珠も忘れずに持参します。

お手土産

手土産はお供えになるようなものがよいでしょう。ぼた餅またはおはぎ、生菓子などであれば、お供えした後、すぐにお下がりとして皆でいただけます。

その他、食べ物ならお菓子の詰め合わせや季節の果物、お酒や故人の好きだったものなどが一般的です。

花や線香もお供えとしては定番です。花ならそのまま飾っておけるアレンジメントがよいでしょう。贈られる方も手間がかからず便利です。白を基調とした、落ち着いた色合いでまとめてもらいましょう。

お供えののしは「御仏前」「御供」として自分の名前を書き、水引きは黒白か黄白で結び切りにします。訪問したらすぐに仏壇に供えてお参りしましょう。

食事

お彼岸にふるまう食事やお供えは、精進料理が基本です。肉や魚は避け、煮物などの出汁もシイタケや昆布で取ります。

そばやうどん、赤飯の他、皆で囲むなら稲荷やちらし寿司、五目寿司などの生ものを使わないお寿司がよいでしょう。また、揚げ出汁豆腐や精進揚げ(野菜やきのこの天ぷら)などの揚げ物もおすすめです。

しかし、男性や子供には精進料理は少々物足りないかもしれません。実際、近年ではお彼岸用のオードブルや仕出し料理でも肉や魚を使うことが増えています。

時代の流れに合わせて、皆で食べる分は普通の食事にするなど、あまり厳格にしなくても構いませんが、故人や先祖の霊を敬い、供養する気持ちは忘れないようにしましょう。

お墓参りの作法

祝日であることから「お彼岸のお墓参りは春分の日・秋分の日に行くもの」という印象があるかもしれませんが、お彼岸の7日間のうちであればいつでも構いません。ただし、午前中に行くようにしましょう。

お墓参りに行くときの服装は、普段着で構いません。ただ、墓地周辺は舗装されていなかったり、玉砂利が敷かれていたりすることがあるので、女性はヒールの高い靴を避けた方が無難です。

線香やろうそく、ライター、お供えや花などは持参します。手桶(バケツ)や柄杓は寺院に用意されていることが多いので、掃除をするのでなければ準備しなくてもよいでしょう。

花は花台に水を入れて、左右対称に差し、お供えは懐紙や皿にのせて置きます。柄杓で墓石の上から水をかけ、線香に火をつけて香炉に立てたら、亡くなった人や先祖の霊を敬う気持ちで、静かに合掌しましょう。

お参りが済んだらろうそくや線香など、火の始末を忘れずにします。

墓地を管理する寺院や霊園によっては、消すだけでなくろうそくや線香も必ず持ち帰ることとしている場合もあるので注意しましょう。また、お参り後は食べ物に限らず、お供えは下げて持ち帰るのがマナーです。

お彼岸がいつかについてのまとめ

お彼岸は先祖に近づき、供養を行う大切な期間です。

期間がいつからいつまでかははっきりわからなくても、春分の日・秋分の日を中日とする前後の7日間と覚えておけば間違いありません。翌年のカレンダーや手帳が手元に届いたら、準備のためにも春分の日と秋分の日を確認しておきましょう。

【監修】栗本喬一(くりもと きょういち)

略歴
栗本喬一(くりもと きょういち)
1977年生まれ
出生地:東京都(愛知県名古屋市育ち)

株式会社東京セレモニー 取締役

ディパーチャーズ・ジャパン株式会社
「おくりびとのお葬式」副社長として、葬儀会社の立ち上げ。「おくりびとアカデミー」葬儀専門学校 葬祭・宗教学 講師。
株式会社おぼうさんどっとこむ 
常務取締役として、僧侶派遣会社を運営。
株式会社ティア 
葬祭ディレクター、支配人、関東進出責任者として一部上場葬儀 社の葬儀会館出店、採用、運営を経験。

著書:初めての喪主マニュアル(Amazonランキング2位獲得)

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